今日は、少しだけ心の奥を見つめるような、 でもとても大切な話をしたいと思います。
私たちは、コミュニティや学びの場を育てる中で、 ときどき、とても不思議な現象に出会うことがあります。
最初はみんな、 同じ志を持ち、 同じ方向を見つめていたはずなのに、 あるタイミングで、 少しずつ「疑い」や「分断」が生まれる。
そんな経験、ありませんか?
それは、悪い人がいるからではありません。 でも、確かに「場の雰囲気が変わる瞬間」があるのです。
今日はその背景にある、イアーゴという存在についてお話します。
イアーゴとは誰か?
イアーゴは、シェイクスピアの悲劇『オセロー』に登場する人物です。
彼は表向きには忠実な部下としてふるまいながら、 実は裏で巧妙な操作を行い、 主人公オセローを破滅に追い込んでいきます。
なぜそんなことを?
理由は、曖昧です。 出世できなかった嫉妬、 自分より評価される人への怒り、 誰にも見せられない孤独。
それらが複雑に絡み合い、 彼は“信頼”という名の糸を使って、 関係性をゆっくりとほどいていくのです。
なぜイアーゴは生まれるのか?
イアーゴ的な存在は、特定の人だけがなるわけではありません。
それは、ある種の「構造」から生まれます。
特に、コミュニティがある程度成長してきたとき
- 誰が評価されているのか
- 誰が選ばれているのか
- 誰が近くにいるのか
そうした見えない距離感が、 人の内側に不安や嫉妬を呼び起こすのです。
そしてそれは、 「自分には価値がないのでは」 「この場には自分の居場所がないのでは」 という被害者意識につながっていきます。
なぜイアーゴは気づかれにくいのか?
イアーゴは、敵の顔をして現れません。
むしろ、とても協力的で、好意的です。
でもその裏で、
- 誰かの噂を小さく囁いたり
- 疑いの種を他人の心にまいたり
- 自分の中の不満を他人の言葉にすり替えたり
そんなふうにして、 静かに場の臨場感を壊していきます。
だからこそ、 外から見ればいい人に見える。 それがイアーゴの怖さなのです。
私自身の中にもイアーゴがいた
これは、誰かを責めるための話ではありません。
私自身も、 「なんであの人だけ?」と思ったことがあります。
「ちゃんとやってるのに評価されない」 「本当は私の方が……」
そんなふうに、 人を比較し、 誰かを疑ったことがあります。
でも、その感情に気づいたとき、 私は「これはイアーゴの種だ」と思いました。
だからこそ、 コミュニティを運営する上で、 私は常に問いかけます。
この場に、 イアーゴが生まれる構造はないか?
イアーゴを生まないコミュニティづくりのために
ここからは、私が実際に意識している 「イアーゴを生まないための3つの工夫」をご紹介します。
メンバーの入れ替えを意識する
人が固定化されると、 役割やポジションも固定されていきます。
そうすると、 見えない序列が生まれやすくなります。
- 上の人、下の人
- 近い人、遠い人
- 呼ばれる人、呼ばれない人
こうした区別が、 嫉妬や被害者意識を生む土壌になります。
だから私は、 場に「風」を入れるようにしています。
新しい人が入る。 少し離れていた人が戻ってくる。
それだけで、 空気が循環し始めます。
人ではなく「教え」に焦点を当てる
「あの人がすごい」 「選ばれたのは○○さんだった」
そうした評価の話になると、 どうしても比較や競争が起きてしまいます。
でも、 本当に大切なのは「人」ではなく、 その人が「何を学び、どこへ向かっているのか?」です。
私は、 教えに焦点を当てることで、 みんなが自分の軸に戻れるようにしています。
誰かを目指すのではなく、 「自分の人生をどう変えるか」 そこに意識を向けることが、 イアーゴ的なエネルギーを静めてくれます。
共通の課題を持つ
人は、外に超えるべき課題があると、 内側で争わなくなります。
たとえば、 コロナ禍では、 誰もが「外」に意識を向けていました。
すると、 人との関係性に対しては協力的になれる。
だから私は、 いつも「抽象度の高い問い」や「挑戦」を持ち込むようにしています。
「情報空間とは何か?」 「自我とはどこにあるのか?」
こうしたテーマを持っていると、 人は内側で争うよりも、 創造の方へエネルギーを使い始めるんです。
影を見つめる優しさを
誰の中にも、イアーゴはいます。
だからこそ、 「それに気づく力」と、 「それが育たない場をつくる知性」が必要です。
コミュニティは、目に見えない情報空間。 だからこそ、 臨場感や感情の動きには、とても敏感であるべきなんです。
今日のお話が、 あなたの中にある小さな問いや迷いを、 そっと照らす光になれば嬉しいです^^