人が変わる瞬間というのは、
決してドラマティックな言葉や、
派手な出来事によって訪れるわけではありません。
むしろ、
ふとした一言に現れたりします。
「私には無理なんです」
「どうせ変われないんですよ」
そんな言葉を何度も繰り返していた人が、
あるとき突然、こう言うことがあります。
「それでも、やってみたいです」
その声には、ただの前向きではない
構造の変化が含まれている。
その瞬間、
その人の中で世界の並び替えが
起きているのです。
自我とは「世界の中で重要性を並べる関数」
私は以前から、自我というものを
単なる「自分らしさ」や「性格」ではなく、
評価システムの構造として捉えてきました。
具体的には、
無数にある選択肢(xとy)に対して、
「どちらを優先するか」「どちらを選ぶか」を
自動的に判断している関数として見る。
この評価関数は、
その人が今どんな世界wに生きているかで
出力が変わってきます。
たとえば、
Aさんとランチに行くか、
Bさんと行くか。
そのどちらを選ぶかを決めているのは、
その人が今、どの世界wにいるかに依存しています。
仕事を優先する世界に住んでいればA
心地よさを重視する世界に住んでいればB
このように選択の優先順位が変わります。
つまり、自我は世界依存的なんです。
メンタリングとは関数ではなく世界を見ること
この評価関数(自我{x,y})を
外側から無理やり書き換えることはできません。
なぜなら、
自我は感情ではなく、
世界構造に基づく計算結果だからです。
私たちメンターが行うべきは、
クライアントの評価関数そのものを操作することではなく、
その評価関数が前提にしている
世界wそのものを移動することの支援です。
つまり、
現状の世界wから、
理想の世界w′へと、
臨場感をともなって移行するプロセスを支援すること。
そしてこのとき選択の基準も、感情の流れも、身体の動きも、
結果として変わっていくのです。
世界が変わるとき、すべてが自然と変わる
この変化は、論理の問題ではありません。
説明や説得では起きない。
それは臨場感空間の移動であり、
抽象度の移動です。
そして、この変化は
無理やり起こすものではなく、
その人の準備が整ったとき、
ほんのわずかな余白によって
自然と起こるものです。
だから、私たちメンターが提供する場は
ただ話を聞く場ではなく、
抽象度が移動する場でありたいのです。
相手がゴール世界w′に少しでも触れたとき、
評価の順番は自然と変わる。
結果として自我が変わる。
だから言葉も変わる。
だから未来も変わる。
人の変化とは、
心を変えることではありません。
その人が住む世界wが変わることです。
最後に
もし最近、
「この人はなぜ動けないんだろう」
「どうして決められないんだろう」
そう感じるクライアントに出会ったなら、
評価関数(行動や価値観)を変えようとせず、
その背景にある世界wを観察しみてください。
そこに、メンタリングの本質が眠っています。
今日も、あなたのつくる場が
誰かの世界wをひらいていますように。