「なぜ私は私であって、他の誰かではないのか?」
誰もが一度はそんな疑問を胸に抱いたことがあるはずです。
一見するとただの感傷のようですが、実は分析哲学の世界では「めまいのする問い」と呼ばれる深遠なテーマとして扱われています。
めまいのする問いとは
この問いは答えようとすればするほど理屈の足場を失っていきます。
なぜ私は、この私なのか。
論理を積み上げても出発点に戻ってしまうような感覚。
それが「めまいのする問い」と呼ばれる理由です。
普段は当然とみなしている「自己」と「他者」の区別も、境界をよく見ると曖昧です。
肉体なのか、記憶なのか、それとも意識の流れそのものなのか。
考えれば考えるほど、その線引きは揺らいでいきます。
一人一宇宙という視点
ここで浮かぶのが「一人一宇宙」という考え方です。
私という存在の中に宇宙全体が映し出されている。
世界のあり方は、私がどう見てどう感じるかによって常に変化している。
この発想に立てば、私の宇宙とあなたの宇宙はそれぞれ独立していながら、
同じ根を共有していることになります。
別々であり、同時にひとつ。
この矛盾こそが人間存在の不思議さを物語っています。
問いを抱え続ける意味
「なぜ私は私なのか」という疑問に明確な答えはありません。
しかし答えが出ないからこそ、問いを抱え続けることに価値があります。
自己と他者を新しい目で見直し、日常の関係や生きる意味を深く考えるきっかけになるからです。
「一人一宇宙」という言葉は、哲学的な思索とスピリチュアルな直感の架け橋のようなものです。
自分の内側に宇宙があると考えるだけで世界の見え方は少し変わっていきます。
まとめと次回予告
一人一宇宙の発想は、「私」という存在を宇宙の入口としてとらえ直す手がかりになります。
次回はさらに一歩進めて、「意識は脳が生み出すものなのか、それとも宇宙の基盤そのものなのか」というテーマに迫っていきます。