こんにちは。KOUです。
このブログを読んでくださって、ありがとうございます。
今回は、いま構築している講座原稿の中から、「恋愛×情報空間」に関する視点を少しだけご紹介してみようと思います。
実は最近、講座の内容を少し変更しました。
福岡では「性愛とクンダリーニ」について、
千葉では「お金の抽象度を上げる方法」に焦点を当てた構成にする予定です。
でも、今日ここで扱うのは、もっと根本的な問いです。
「恋愛感情」は、ほんとうに自分のものか?
「恋愛は本能です」
よく聞く言葉ですよね。
進化心理学的には、恋愛とは「子孫を残すための衝動」と説明されることが多いです。
その説明を聞いて、どこか「腑に落ちた感じ」がしたとしたら
それ自体が、すでにひとつの刷り込みかもしれません。
なぜなら、「本能」という言葉自体も、文化的・教育的な情報によって後付けされたものだからです。
惹かれる感覚は、どこから来ている?
たとえば、誰かに恋をしたとき。
相手の笑顔ひとつで一日が輝き出したり、
ちょっと連絡が来ないだけで、世界が終わったように感じたりする。
そんな体験、きっと一度はありますよね。
でも、その感情は本当にあなたの感情だったのでしょうか?
あるいは、こんな情報が重なり合って生まれたものでは?
・映画のワンシーンの記憶
・少女漫画で繰り返された恋の展開
・親の恋愛観や教育方針
・SNSで語られる「理想の恋愛像」
それらの情報が積み重なった臨場感空間の中で、
わたしたちは「恋をしている」と感じているのかもしれません。
恋愛とは、「社会が設計した感情OS」?
恋愛という構造を一段階上から観察してみると、
そこには「個人の自由」や「純粋な感情」は、案外見当たりません。
代わりにあるのは、情報空間に浮かぶ「物語」です。
執着、依存、不安、歓喜、絶望。
それらの感情は、あなたの中のリアリティ・プログラムによって、
自動的に再生されているにすぎないのかもしれません。
つまり、恋愛とは「社会が設計した感情OS」。
わたしたちはそのシステムの中で、自分自身を演じているのです。
でも、恋愛は悟りの「入り口」かもしれない
ここで、ひとつ視点を切り替えてみましょう。
恋愛とは、悟りの反対側にあるものではなく、
むしろ、悟りへ向かうための入り口かもしれない。
なぜなら、わたしたちが「惹かれる感覚」そのものに問いを立てた瞬間、
認識の階層をひとつ上に上がることができるからです。
悟りとは、神秘的な体験でも、特別な人の特別な意識状態でもありません。
「今まで信じていた現実が、
実は無数にあるうちの一つにすぎなかった」と気づくこと。
それが、階層を上がるということなんです。
感情の浄化とは、「視点のジャンプ」である
多くの人は、感情を癒すことで「浄化」できると思っています。
もちろん、それもひとつの方法です。
でも、真の意味での浄化とは
「自分がどの臨場感空間にいたのか」に気づき、
そこから一段、視点を上げて別の場所から眺めること。
これが、わたしの定義する「意識の座標の移動」です。
AIにはできない「自覚」という技術
AIは、膨大なデータを使って情報の階層を登ることができます。
でも、「自分がどの臨場感空間にいたか」に気づくことはできません。
この「自覚する」という技術は、人間にしかできない。
それは、身体感覚・潜在意識・言語空間・直観的把握など、
複数の層を同時に持つ存在だからこそできることなんです。
恋愛とは、その自覚を促すために、
最も美しく、最も激しく、そして最も深く
わたしたちにアクセスしてくる入口なのかもしれません。